長尾能雅(よしまさ・医師)の医療安全とは?妻や子供はいる?学歴・経歴、病院はどこ?【プロフェッショナル】

こんにちは!

mamakaです。

 

2月25日の

「プロフェッショナル」に

「医療安全」という分野が専門の医師、

長尾能雅(ながお よしまさ)さん

という方が登場するそうですね!

 

今日は長尾能雅さんの

  • 学歴や経歴
  • 「医療安全」ってなに?
  • 勤務先の病院はどこ?
  • 妻はどんな人?子供はいる?

などを調べてみました!

ぜひ、読んでみてください!

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長尾能雅(ながお よしまさ)さんの経歴①学歴や現在の病院は?

出典元:https://doctor.mynavi.jp/doctory/9/index.html#anc-target

長尾能雅さんは49歳

 

最終学歴は

1994年 群馬大学 医学部 医学科 卒業

 

群馬大学を卒業されてからの

長尾能雅さんの経歴

以下のように紹介されています。

 

1999年4月、

公立陶生病院 呼吸器・アレルギー内科 医員

 

2001年4月 名古屋大学医学部 第二内科学教室 医員

2003年7月 名古屋大学医学部附属病院 呼吸器内科 医員

2004年4月 土岐市立総合病院 呼吸器内科 医長

2005年10月 京都大学医学部附属病院 医療安全管理室 室長・助教

2008年3月 京都大学医学部附属病院 講師

2010年4月 京都大学医学部附属病院 准教授

 

2011年4月 – 現在

名古屋大学 医学部附属病院 医療の質・安全管理部 教授
 
2012年11月 – 現在

名古屋大学 医学部附属病院 副病院長

 

というわけで現在は

名古屋大学医学部付属病院

勤務されているということですね。

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長尾能雅さんの経歴②「医療安全」の分野に進むきっかけは?

長尾能雅さんによると、

1990年代には

  • 真実を伝えれば患者さんが幸せになるというものではない
  • 罪を認めることになるので、患者さんには決して謝罪してはならない

という考えを持っている

医療者が多かったといいます。

長尾能雅さん自身、

そのような空気に違和感を感じていたそう。

 

そして

2002年、名古屋大学医学部付属病院で

腹腔鏡下手術での死亡事故

起こります。

 

その時に、病院幹部である

二村雄次病院長・大島伸一副病院長は

不幸な事故に正面から向き合い、

幾多の障壁を乗り越えて

外部を主とする事故調査会を立ち上げ、

遺族や社会への説明を果たそうと

活動を開始。

 

その姿勢が深く印象に残った長尾能雅さん。

「こうあるべきだ。

これなら自分にもできるかもしれない」

と感じたと言います。

安全医療に

より深い関心を持つようになったんですね。

 

そんな長尾能雅さんに目をつけた上司が

名大病院が「安全管理部」を立ち上げる際

「専従医師にならないか」と

声をかけてくれます。

長尾能雅さんは医療安全の独学を

始めたものの、

そのとき所属していた呼吸内科の

事情があってこのときは異動は叶わず。

 

しかし、その後

京都大学医学部付属病院の

「医療安全管理室室長」のポストを

提示されます。

このことについて長尾能雅さんは

自分史の中で忘れることのない転機となりました。

その話を聞いた瞬間に、

直感的に『これが自分の生涯の仕事になる』と

受け止めたと思います。

引用元:https://doctor.mynavi.jp/doctory/9/

と振り返っています。

ずっとやりたかった「医療安全」の分野を

京大病院に誘われたことがきっかけで

実現することができたんですね!

 

ちなみにその後、2011年に今度は名大病院から

「医療の質・安全管理部に専従の教授ポスト」

を提示されて名大病院に戻るわけですが、

京大の幹部は

「当院で新しいジャンルを切り拓いた君が、

名大病院でリーダーとなって力を発揮することは、

京大病院の業績であると同時に、

日本の医療安全の発展にとって極めて意義のあること」

と快く送り出してくれたそうですよ。

かっこいいこと言いますね~。ドラマみたい。

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長尾能雅さんの経歴③「医療安全」のために、まず取り組んだこととは?

そのようにして京大病院で

「医療安全管理室室長」として

活動を始めた長尾能雅さん。

 

医師という職業は

  • 患者さんの命と引き換えに何か危険なこともできてしまう
  • 患者さんに事実を少し曲げて伝えることも可能

だからこそ

「隠さない」というのは

常に自分たちの背筋を伸ばさなければ

ならないと長尾能雅さんは語ります。

 

まず取り組んだのは、

医療者、特に医師の報告行動を活性化させること

だそうです。

医療上のインシデント(ミス・事故)が起きた時に

安全管理部に報告させるシステム

作ったというわけです。

 

その報告を受けて長尾能雅さんは

院内のどの部門のどの医師を

治療に当たらせるのがベストかなどを判断

することになります。

 

事故が起こったとき、患者さんが生きているうちに

救命するための最善の策を

考えるための「医療安全」でも

あるんですね。

 

とはいっても、

長尾能雅さんの活動は最初から

順風満帆ではなかったといいます。

「医療安全」と聞くと反射的に

「事故調査」「謝罪」「賠償」「警察届け出」

を連想する医師も多く、

「医療安全など、医師がやるものではない」

言われたこともあったそう。

 

医師が「医療安全」に取り組む

ということは、

「仲間のミスを追求する」と

受け取られかねなかったという

感じですかね。

 

でも、

“医療安全は治療だ”という視点、

インシデントを早期に報告してもらえれば

治療連携ができることを

医師たちに発信していったことにより、

医師の関与が深くなっていき、

医師によるインシデントレポートの数も

飛躍的に伸びていったのだそう。

 

患者になりえる立場の一般人からすると、

「長尾能雅さんが行ったような

働きかけが無くても

報告してくれよ…」

という気持ちにもなりますが、

医師も人間ですし、積極的に

報告しないケースもあったんでしょうね。

それを

自発的に報告するように変えていった

長尾能雅さんはすごいですね!

 

※「プロフェッショナル」の放送を観て追記

番組によると、

インシデントリポートを沢山

出したからと言って医師の評価が

下がることはないよう

仕組み作りをしたことも、

報告が増えた理由の一つだと

説明されていました。

名大病院で働いている医師は

 

「以前は評価が下がるのではと感じたが、

今は(インシデントリポートを出すことに)

全く抵抗がない

 

「個人レベルや科のレベルで

(隠して)抱え込むと

問題が大きくなってから

じゃあどうするんだ、

なぜ報告が遅れたんだ、ということに

なりがち。

共有することによって現場も

守られる」

 

などと語っていて、

「医療安全」への信頼の高さを

感じました。

 

「ミスを報告しても評価が下がらない。

むしろ自分が助かる」

という風に持って行くのは

なんか、いろんな業界に応用

できそうですね。

子育てでも、あまり叱り過ぎると

子供は隠れて悪い事するように

なったりしますもんね。

家庭レベルでも生かせそうな知恵ですね。

長尾能雅さんの妻はどんな人?子供はいる?

長尾能雅さんの妻はどんな人なのか、

子供はいるのかなど

調べてみましたが、

今のところ情報は得られていません!

結婚されているのかどうかすら

ちょっとわかりませんでした…。

すみません…

番組を観て何かわかるといいんですが。

 

以上、わたしが調べた

長尾能雅さんの情報いろいろでした!

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