こんにちは!
mamakaです。
9月10日の『激レアさんを連れてきた。』に
小学校に6日しか通わなかったので、
ウソみたいに何にも知らなかったけど、
スーパーマーケットのバイトだけで
文字や常識を学び、
超やり手の社長にまで上り詰めた人
として、
服部玲央さんという男性が
登場します!
今日はそんな服部玲央さんについて
プロフィールや、
想像を超える経歴、
経営する会社について、
結婚した妻や子供はいるのか?
などを調べてみました!
ぜひ、読んでみてください!
服部玲央さんのプロフィール!
出典元:テレビ朝日
それでは服部玲央(はっとりれお)さんの
プロフィールから。
服部玲央さんは
1978年5月2日生まれの40歳。
兵庫県出身です。
現在の職業は会社社長ですが、
その詳細は2ページ目に書いています。
服部玲央さんの経歴その1、なぜ小学校に6日間しか行かなかったのか?
番組予告で目にしてかなり衝撃だった
「小学校に6日しか行かなかった」
「自分の名前も漢字で書けなかった」
というエピソードの詳細が
わかりました。
父親の海外転勤のため、
2歳から7歳までアメリカ・ロサンゼルスなどで
暮らしたという服部玲央さん。
日本に帰国してからは横浜に住んでいました。
アメリカから帰国して小学校に通い始めた
服部玲央さんでしたが、
どうしても学校に馴染めなかったと言います。
アメリカの学校とのギャップに
耐えられなかったのでしょうか。
そう考えると可愛そうですね…。
学校がすっかり嫌いになり、
小学校には6日間しか登校しなかったのだそう。
学校に行かずどうしていたかというと、
服部玲央さんが住む地域は
ヤンキーが多かったそうで、
ヤンキーと仲良くなり、
一緒に過ごす時間が増えて行ったようです。
そんな、当時8歳の服部玲央さんを
お母さんは全寮制の更生施設に入れてしまいます。
8歳で入るような更生施設があるんですね…。
しかし、その更生施設からも逃げ出して
友達の家を転々としたりして日々を
過ごしていたそう。
そのようにして文字を学ぶ機会も
逃してしまったのですね。
経歴② 文字が読めないアルバイトからコンビニオーナーへ
生活していくためのお金に
困るようになり、
中学を卒業する年齢の15歳の時、
服部玲央さんはスーパーマーケットで
働き始めました。
その頃の服部玲央さんは
担当時間外も自主的に職場に出て、
周囲に教えを請いつつ、がむしゃらに働いたそう。
更に、19歳からは
「ファミリーマート戸塚鳥が丘店」で働き始め、
なんと二十歳で当店の店長に抜擢されたというのです。
すごいですね!
最初は、
見た目が不良で、
あまりにも常識的な知識を持たない服部玲央さんに
周囲の目は冷たかったようです。
なんとその時点で漢字が一文字も書けず、
日報を書くのも全部ひらがなだったそう。
履歴書とか、どうしたんですかね。
商品の発注をするにも、
指を使わないと計算もできず、
荷物の宅配を頼まれても、
埼玉がどこにあるのか、県なのか町なのかも
わからなかったと言います。
小学校にまともに通わなかった服部玲央さん、
まさに幼稚園くらいで知識が
ストップしている感じですね。
それでも仕事が好きだった服部玲央さんは
仕事の合間を見ては、がむしゃらに勉強しました。
そのとき服部玲央さんを突き動かしていたのは
「人に必要とされたい」という思いだった
と言います。
まだ小さい時に施設に入れられてしまった経緯を
考えると、切ない願いですね。
漢字を覚え、電卓の使い方を覚え、
地図を使って地名も勉強。
普通の人が小中学校にいる間に何気なく
身に着けていく知識を、
服部玲央さんは一年ほどで全部覚えて行ったんですね!
どうしても書けない漢字は、
恥を捨てて年下の仲間に教わったそう。
そのような状態で働くのはどれだけ大変だったことか…。
不登校や不良になったことは、ある程度本人の責任とは言え、
服部玲央さん、
諦めず努力したのはすごいですよね!
そんな働きぶりを見込まれ、
20歳の若さで店長を任され、
23歳で経営権を譲り受け、コンビニのオーナーに
なった服部玲央さん。
雇われオーナーとは言え、
従業員をまとめる立場になったんてスゴすぎます!
服部玲央さんが社長を務める会社については2ページ目へ
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