こんにちは!
mamakaです。
12月6日の
「奇跡体験!アンビリバボー」で
ディアトロフ峠事件が
取り上げられるそうですね。
1950年代に起きて以来、
その不気味で衝撃的な内容から
数々の憶測を呼んだこの事件。
番組では「真相が明らかに!」と
銘打っていて、
放送がめちゃくちゃ楽しみです!
今日は
ディアトロフ峠事件の概要
有力視されている真相
を書いてみました!
※この記事は「奇跡体験!アンビリバボー」で
語られた「真相」も追記しています!
ぜひ、読んでみてください!
ディアトロフ峠事件の概要!
ディアトロフ峠事件について
箇条書きにしてみました。
- ロシア(当時のソ連領ウラル山脈北部)
- 死の山と言われていたホラート・シャフイル山(事件後、被害者の名にちなみディアトロフ峠と呼ばれるようになる)
- 1959年2月2日(共産党に支配され国に不信感が持たれていた時代)
- 男性8名女性2名
- 主に1930年代生まれの若者たち。
- スノートレッキングをしていたグループ
- ウラル科学技術学校、現在のウラル工科大学の生徒か卒業生たち
- 一行の全員が長距離スキー旅行や山岳遠征の経験あり
- イーゴリ・アレクセーエヴィチ・ディアトロフ
- ジナイダ・アレクセーエヴナ・コルモゴロワ
- リュドミラ・アレクサンドロヴナ・ドゥビニナアレクサンドル・セルゲーエヴィチ・コレヴァトフ
- ルステム・ウラジーミロヴィチ・スロボディン
- ユーリー(ゲオルギー)・アレクセーエヴィチ・クリヴォニシチェンコ
- ユーリー・ニコラエヴィチ・ドロシェンコ
- ニコライ・ウラジーミロヴィチ・チボ=ブリニョーリ
- セミョーン(アレクサンドル)・アレクサンドロヴィチ・ゾロタリョフ
- ユーリー・エフィモヴィチ・ユーディン
- 一行の最終目的地は、オトルテン山。難易度の高い(当時)と思われるルートだった。
- 1959年1月下旬、一行は列車やトラックのチャーターを利用して現場となる山に向かう。
- ユーリー・エフィモヴィチ・ユーディンが急病で離脱(唯一の生存者となる)
- 1月31日、原生林を経てオトルテン山麓に到達
- 翌2月1日、トルテン山へ続く渓谷へと分け入った
- 天候による視界不良の為か、誤って目的とは違う山(ホラート・シャフイル山)へ登り始めてしまった
- 誤りに気付いたものの、森林地帯に入って風雪を凌ぐのではなく、何の遮蔽物もない山の斜面にキャンプを設営
- (リーダーのディアトロフが既に登った地点からの下山を嫌がったか、斜面でのキャンプ経験を積むことに決めたのではないか)と生存者ユーディンは推察
- ディアトロフは登山後2/12に連絡するだろうと所属のスポーツクラブに伝えていた。
- ディアトロフがユーディンに「もう少し長引くかもしれない」と話していたため、2/12に連絡がないことに関係者は反応せず。
- 2月20日、一行の親族たちの要請で最初の救助隊が捜索
- その後軍と警察により大規模な捜索へ
- 2月26日、ホラート・シャフイル山で破損したテント発見
- テントは内側から引き裂かれていた
- 9人の足跡の一部は裸足だった
2/29に5人の遺体を発見
- 場所は大きな杉の木の下
- 下着姿で靴を履いていない者もいた
- 焚き火の跡
- 木に登ってキャンプを探そうとした形跡
- 離れた位地で発見され、それぞれがテントに戻ろうとしていた様子
- 時期は事件のあった年の5月
- 4メートルの深さの雪の下から
- 場所は杉の木より更に森に分け入ったところ
- 最初に亡くなったメンバーの服を身に着けているものもいた。
ちなみに
遺体が薄着だったのは「矛盾脱衣」
(長時間の寒い環境下での
体を温めようとする働きにより、
「暑い」と錯覚して服を脱いでしまう事)
によるものと
説明がついているそう。
- 最初に発見されら5人の死因は「低体温症」
- 後に発見された4人のうち3人、頭部と肋骨に致命傷。
- その3人のうち1人は舌を失っていた。
- 眼球のない遺体もあった。
- 外傷はなく、圧力をかけられたようだった。
- 争った形跡はなく、第三者による襲撃説は否定された。
- 一部の遺体からは放射線物質が検出。
- 当局の最終的な調査結果は、「全員が “抗いがたい自然の力” によって死亡」
- 事件の資料は機密文書
- 1990年代に文書が公開されるも一部消失していた
有力視されている真相は「カルマン渦」?
事件について調べていると「カルマン渦」という言葉を
目にします。
ディアトロフ峠事件については
攻撃説、雪崩説、強風説、兵器実験説、
放射線関連の実験説など、
数々の議論を呼んだようですが、
アメリカ人ドキュメンタリー映画作家の
ドニー・アイカーさんのは
「死に山」という本でこれらを否定しています。
ドニー・アイカーさんは
ディアトロフ峠事件に非常に強く興味を持ち
現地を訪れ、関係者に話を聴くなどして
この本を書きあげたと言います。
更に日本では今年刊行されたばかりの
本なので、「ついに真相が」と
注目されているようですね。
そして本の中で
事件の原因として取り上げているのが
「カルマン渦」という現象なのだそうです。
「カルマン渦」とは大気現象の一種で
1940年にアメリカでつり橋が
崩壊したこともあるほど、
条件がそろうと大変な破壊力を
もつ現象のようです。
この「カルマン渦」がディアトロフ事件で9人の命を
奪ったのでしょうか。
ただ、この「死に山」のアマゾンの
レビューを読むと
「面白い本だったけど結局謎は謎のまま」という感想が多いです。
60年も前の事ですし、
全てが明らかになったという訳では
ないようですね。
ただ、当時の学生たちの暮らしや
残された家族の想いなども本には
盛り込まれていて、
本の内容に引き込まれたという人が多かったです。
事件の不気味な面ばかりに注目しがちですが
愛する家族のいた若者たちが
おそらくはとんでもなく恐ろしく、
寒く、辛い思いをしながら
亡くなった悲しい事件でもあるんですもんね。
ちょっと怖いけど、読んでみたい本です。
ディアトロフ峠事件についての検証!
やはり、
先にも書きました映像ジャーナリストの
ドニー・アイカーさんが
「奇跡体験アンビリバボー」に
「真相を明かした人」として出演していましたね。
ドニー・アイカーさんは
ディアトロフ峠事件の真相として
これまで世間で挙げられてきた説を
一個ずつ検証し否定していました。
→テントは爪で裂かれたものではなかった。 →マンシ族は温和な部族 調査にも率先して協力していた。 争った形跡も、 被害者たち以外の足跡もなかった。 (メンバーの一人、美人のジーナに ディアトロフを含む三人が思いを 寄せていた。ジーナをめぐって喧嘩?) →恋心を人前で言うような 時代ではなかったため 考えにくい。 (遺体の衣服から 通常の二倍の放射線量が検出。 更に皮膚が黒くなっていた) →核兵器の誤爆ならその程度の 放射線量では済まない。 通常の二倍程度なら異常ではなく 大気汚染などでも起こり得る。 更に山から1400キロほど離れた場所で 核実験があり、放射性物質が 山にまで流れ着いた可能性もある。 皮膚の色は日光で説明がつく。 (光の玉の複数の目撃情報。 舌の消失がアメリカで起こった きゃとるミューティレーションに似ている) →雪解け水に浸かっていたため 水の中の微生物に柔らかい舌が分解された。 水に浸かっていなかった他の遺体は 舌が残っていた。 そして、肝心のドニー・アイカーさんが たどりついた真相とは? 気象学の専門家ヘイダー博士によると 「ヘアピン渦」 という自然現象が原因だろうと いうことでした。 (渦の名前が違いましたね…) 「ヘアピン渦」とは 強い風が半球形の障害物 (ディアトロフ峠事件の場合は 地形が半球形だった)にぶつかることで 生じる渦だそうで、 このように二つの竜巻に 発展することがあるそう。 しかも通常の風速の三倍もの竜巻。 「当時は風速15キロと言われていたので 45キロくらいだったと推察される」 との事でした。 それで、被害者たちのテントは この竜巻の間に張られていて、 テントの両脇を2~3分に一度の頻度で 竜巻が通り抜けていたのだろうというのです。 ただ、テントは吹き飛ばされていないので 直接の死因ではないそう。 「ヘアピン渦」が起こす 様々な現象と、 それにより被害者たちが どのように行動したと予想されるのかが 説明されました。 「ヘアピン渦」によっておこる現象。 それによって被害者たちがどうなったか。 そして凍死したり、 谷に落下して亡くなったりしたのだろうと いう事でした。 (わたしが見つけた記事では 外傷がなく圧力をかけられたような 状態だったという情報もありましたが、 アンビリバボーでは外傷があったと 言っていました) ドニー・アイカーさんによると、 「ヘアピン渦説」は 他の説に対して 「不可能性がない唯一の説だから 真相だと信じている」 との事でした。 なるほど。 テントから飛び出した時 竜巻に巻き上げられたりしてそんなに遠くまで逃げられない という可能性はないのかな、と ちょっと疑問に思いましたが。 少なくとも舌が失われていた理由や 薄着だった理由、 放射能が異常値ではなかったという点が わかって、 「謎だらけの不気味な事件」という 印象は薄らぎました。 ここまで調べたドニーアイカーさん すごいですね。 以上です。そして真相がついに明らかに!
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