吉岡秀人(医師・ミャンマー)結婚した妻や子供は?大学などの経歴!無償・無給で治療や手術?【ナゼそこに日本人】

こんにちは!

mamakaです。

 

10月22日の『世界ナゼそこに?日本人』で、

吉岡秀人さんという方が

紹介されるそうですね!

ミャンマーの貧困に苦しむ人々を

23年間も無給で救い続ける

53歳のスゴ腕男性医師…

として紹介されるようですが、

一体どんな方なのでしょうか?

 

今日はそんな吉岡秀人さんについて、

出身大学などの経歴や、

無償・無給で治療するのはなぜなのか?

などを調べてみました!

さらに、

「出会った当時は医学生だった」という結婚した妻との

馴れ初めもわかりましたよ。

ぜひ、読んでみてください!

スポンサードリンク

吉岡秀人さん(医師)の出身大学などの経歴!

出典元:Twitter

吉岡秀人さんは1965年8月12日生まれの53歳。

大阪府吹田市出身で、

大分大学の医学部を卒業されています。

 

大学卒業後は

大阪や神奈川で救急病院での

勤務を経験します。

以下がその後の経歴です。

 

1995年~1997年

ミャンマーにて医療活動に従事

 

1997年~2001年

国立岡山病院勤務小児外科医師

 

2001年~2003年3月

川崎医科大学勤務小児外科講師

 

そして、

2003年4月から現在も、

主にミャンマーにて医療活動に従事

されているそうです。

 

2004年4月には

国際医療ボランティア団体ジャパンハートを

設立されています。

現在は吉岡秀人さんは

特定非営利活動法人ジャパンハート 最高顧問

という肩書をお持ちです。

吉岡秀人さんの取り組みは?

このジャパンハートは

国、地域、人種、政治、宗教、境遇を問わず、

すべての人たちが生まれてきてよかったと

思える社会を実現するため、

災害の際の医療や、途上国、離島などの

医療を行っている団体だそう。

 

団体の活動は沢山の医療従事者の人達や

ボランティアの人達で成り立っているそうで、

これまで途上国で15万件以上の

治療を行ってきたといいます。

すごいですね!

 

ジャパンハートの事業のひとつには、

小児ガンの子どもたちを、

好きなときに好きな場所へ連れていく!

というプロジェクトもあるそうです。

ディズニーランドやピクニックなど、

子供が望む場所へ

医師や看護師が同行して連れて行くというもの。

 

このプロジェクトには

「危険を冒してまで出かけるべきかということ」や

「願いを叶えてあげられる子供の数には

限りがあること」などへの

ジレンマもあるようです。

確かに、全ての病気の子供の願いをかなえることは

できないことを考えると、切ないし、

難しい問題ですが、

治療から一時的にでも解放されて

楽しい時間を過ごした子供たちや、

その親御さんたちは

本当にうれしかっただろうなと思います。

 

吉岡秀人さんは、実際に途上国で

手術の執刀もしていますが、

その他にも

お金を集めて病院を建設したり、

上に書いたような子供が喜ぶような

プロジェクトを企画したり、

本当にいろいろな活動をされてます。

子供たちのためにできることを日夜

考えておられるんだろうなというのがわかります。

スポンサードリンク

なぜ無償・無給で治療や手術をするの?

吉岡秀人さんの過去のインタヴューを

読んでいて、

下のような言葉を見付けました。

何で医療を続けてきたかっていうと、

本当に一言でいうと「だって可哀想じゃない」と

思うんですよ、こういう子見たら。

いつもそれの繰り返しで自分で続けてきたんだな、

というのがよく分かりましたね。

こういう小さい子たちが最期、

虫の息になって死んでいくっていう現実をね。

引用元:industry

吉岡秀人さんは途上国のがんの子供を

日本に連れて来て治療したり、

「パスポートの発行を待っていたら

治療が間に合わない」と考えるときには

現地に日本から医師を派遣して手術したり、

時間や距離などの制限がある中で

治療のために奔走されています。

 

あるときラオスの病院から

「白血病の子供がいるが、どうするか」

「一度引き受けたら、すごい数の希望者が

来てしまうから、受け入れない方がいいのではないか」

という旨の連絡を受け取ったそうなのです。

病院の意向に従ってそのときは、

治療を断った吉岡秀人さん。

 

次に訪れた時には

その子供は弱っていて、翌日には

亡くなってしまったそうです。

「その子が亡くなったときによくわかった」というのが

上に載せたような、

「子供が死んでいくのは可哀想、

という気持ちだけで医療をやってきた」

ということだそうです。

 

「可哀想だから、救いたい。

そして救いたい相手にはお金が無い。

だから無償でやる。」

というシンプルで誰にでも理解できる動機。

でも、わたしを含め

殆どの人は実行に移せないであろうことを

やっている吉岡秀人さん、すごい人です…。

 

さらに吉岡秀人さんのTwitterでも、

「才能あるものは、才能に見合った金銭的報酬を

受けるという生き方も選べるが、

金銭的報酬を受け取らないというあり方を

選ぶとき、

己の価値は無限大だと自己認識できる」

というような投稿もされています。

 

吉岡秀人さんが無償無給で治療や手術をするのは

このような崇高な気持ちから

もたらされる行動でもあるんですね。

 

医師として高額の収入を得る選択肢も

ありながら、

無償無給でその才能を使うというのは、

どんな気持ちの

するものなのでしょうか。

なんだか神がかっていますね…。

スポンサードリンク

吉岡秀人さんと結婚した妻との馴れ初め!子供はいる?

吉岡秀人さんは結婚されていて、

子供が2人おられるそうです。

 

吉岡秀人さんと結婚した妻との出会いは

1990年代にさかのぼります。

1995年、既にミャンマーでの医療活動を

始めていた吉岡秀人さん。

最初は小さな診療所で、一人の看護師と共に

内科的な治療を中心に行っていたようですが、

次第にやけどや口唇口蓋裂など、

手術が必要な子供たちがやってくるように

なったそうです。

 

「ミャンマーで必要な外科手術を

学ぶ必要がある」と考え、

1997年に日本に一時帰国。

岡山や川崎の病院の小児外科に勤務した

吉岡秀人さん。

あるとき、岡山病院の医師に

「お前そろそろ結婚しないのか」と

言われ、ある女性を紹介されたと言います。

 

ところが、吉岡秀人さんが好きになったのは

その紹介された女性と食事をしようというときに

一緒にやってきた別の女性でした。

当時医学生だったというその女性が

今の吉岡秀人さんの妻だというのです。

 

そして始まったお付き合い。

吉岡秀人さん、当時を振り返って

「夢を語りまくりました。

発展途上国で医療をするのが

僕の人生の前提ですから、

お付き合いの段階で伝えておこうと

思ったんです。」と言います。

最初から結婚を視野に入れていたのですね!

すてき!

後に妻となるお相手の女性も

医学生だったそうですから、

共感する部分も多かったのかもしれませんね。

 

そして、

2003年3月にミャンマーに戻ることにした

吉岡秀人さん。

同年の年末に結婚式を挙げたそうですが

一週間足らず日本で新婚生活を過ごしただけで

あわただしくミャンマーに戻っていったと

言います。

奥様、お付き合いの段階から

途上国での医療活動をするつもりと

聴いていたとはいえ、

新婚の妻としては寂しかったかもしれませんね…。

現在、吉岡秀人さんと妻の間には

2人のお子さんがいるそうですよ。

 

吉岡秀人さん、

日本とミャンマーを行き来する

大変な生活のようですが、

これからも子供たちを救うために

活動されていくことでしょう!

1 COMMENT

小林博司

今の世の中、仁術よりも算術の医者が多いのにこのような日本人がいることを誇りに思う。

返信する

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です