こんにちは!
mamakaです。
11月19日の「激レアさんを連れてきた。」に
『ただ屋久島でひっそりと暮らしたかっただけなのに、
家がぶっ壊れたり町の英雄になったりと
壮絶な夫婦生活を送った結果、
ヌードモデルになった人。』
としてヒロコさんという女性が
紹介されるそうですね!
今回もおもしろそうです!
いったいどんな方なのでしょうか?
このヒロコさんについては
事前情報はほとんど得られなかったので
ひとまず屋久島への移住の情報として、
実際に移住した方の
感想などを載せてみたいと思います。
※番組を観てから
- 経歴
- 元夫
- 移住して家が壊れた理由
- 町の英雄になった理由
- ヌードモデルになった理由
なども追記しました!
ぜひ、読んでみてください!
Contents
屋久島情報!実際に移住した人の感想は?
実際に屋久島に移住した人の
インタビューを読んでまとめてみました。
■屋久島に移住してよかったこと
- 空気がきれいだからか、慢性アレルギー鼻炎が治った
- ダイエットしなくてもあっという間にスリムになった
- 近所の人が優しく声をかけてくれた
- 家庭菜園が楽しい
- 人とつながることが面倒だったが、人付き合いが楽しくなった
- 自由に好きなことができる
■屋久島に移住して想像と違ったなと思うこと
- 家の周りの片付けや草刈りが忙しく、行きたかった釣りや山登りができていない
- 物価が高く、ガソリンも高い
- 都会に比べると仕事が少ない。賃金が少なく職種も選べない
- 台風や雨の影響が大きく、自然が脅威に思える
- 虫が多い
- カビが生えやすい
- 欲しいものがすぐには手に入らない
- 行動が他の住人に筒抜けでプライバシーがない
- 鹿児島県の食文化なのか、味噌や醤油が甘く、好みに合わない場合辛い
- ネット環境がADSLのみ
以上のような感想がありました。
ただ、
「島民同士の噂話や干渉がすごい」
という人もいれば
「干渉は全くない」という人もいて、
当然ながら感じ方は人それぞれな
部分もあるようです。
経済的なことをデメリットに挙げている人は
割と目につき、
「物価は高いが仕事は薄給」というのは
一般的に言えることみたいです。
これまた当たり前のことですが、
例えば不動産などの不労所得とか
貯金がなかったら
現地で一生懸命働くことは必要で、
屋久島に移住したからといって
自動的に自由な時間が手に入るわけではないですよね。
でも、
「大変だけど屋久島の暮らしが好き」
「興味があるならまずは住んでみたらいいと思う」
などの意見もあり、前向きで素敵だなと感じました。
自分だったら屋久島での暮らしを
楽しめるかな、と想像するのも楽しいですね!
屋久島に移住したヒロコさんの経歴は?
テレビ朝日のサイトによると
ヒロコさんは
あまりに盛りだくさんでうまくまとめられず、
収録までに一年半もかかってしまったという
「超異例の激レアさん」なのだそうです!
いったいどんな経歴の持ち主なのか、
期待が高まりますね!
なんでもヒロコさんは
学生の頃から憧れていた先生と結婚されたそう。
その先生とは
大阪の芸術系の学校で
絵の勉強をしていたときの先生のタカシさん。
そして、
結婚後すぐに屋久島に移住。
移住した買った理由に
「ヒロコさんが極度の人見知りだったこと」が
あるそうです。
「人見知りだから
人里離れて仙人みたいな原始的な暮らしをしたい」と
考えたヒロコさん。
そして憧れの人と移住…!
なんだか映画のような
夢みたいな状況ですよね…。
もし自分が学生時代憧れていた人と
結婚できて、
憧れの土地に移住できたとしたら…と
妄想するだけで胸が高鳴ってきませんか?
でも、
妄想だけならいいですが、万が一現実になったら
間違いなく死ぬほど大変だろうという
気がします。
「憧れの人=価値観が合う・いい配偶者になる」
という訳では必ずしもないですもんね。
ヒロコさんも
夢のような移住生活が始まるかと思いきや
誤算がゴロゴロ…という
状況になってしまったようです。
自給自足生活は予想以上に過酷なもので
電機は風力発電、
水は沢から組んでくる。
食料はモリで仕留めたタコや芋虫。
「芋虫を輪切りにしてフライパンで
炒めて食べた」
「虫は苦手だったが、常に
お腹が空いていたので食べられた」
なんていう話も…。
うえ~~
でも、わたしも虫は大嫌いですが、
それ以上に食い意地が張っているので、
同じ状況になったら芋虫でも
食べてしまうかも。
そんな生活の中、ヒロコさん自身や
タカシさんとの夫婦仲にも
変化が訪れたそうです。
屋久島に移住したヒロコさん、家が壊れたり町の英雄になったりした理由とは?
ヒロコさんの家が壊れたり
町の英雄になったりした理由が
番組で語られていましたよ。
■ヒロコさんの家は何故壊れたのか?
屋久島生活を始めてしばらくして
ヒロコさんタカシさん夫婦にも変化があります。
苺ちゃんという娘の誕生です。
それまでティピーというアメリカの先住民の
スタイルの小屋で暮らしていたふたりですが、
赤ちゃんがいるのにティピー生活は
まずいと、家を建てることに。
しかし、
仕事を辞めてお金がなかったふたりが
廃材などを利用して一年かけて作った
骨組みは、台風でぺしゃんこに
なってしまいます。
それをきっかけに心配して集まってくれた
島民の人達との交流も生まれたのだとか。
更に
娘の苺ちゃんのために作った子守歌を
人に聴かせたくなったりして
屋久島の合唱団に入団。ママ友もできます。
人見知りゆえに屋久島にやってきたはずが
コミュニケーションがどんどん
楽しくなっていったそう。
■ヒロコさん、町の英雄に。
大自然で子供を育てたいという意向で
娘の苺ちゃんを裸足で生活させていたヒロコさん。
しかし、苺ちゃんはそれが理由で学校で
馬鹿にされてしまいます。
それを知ったヒロコさんは
学校の校長に猛抗議。
自主新聞に娘の事件の事を8か月書き続けます。
そのうち周囲に支援者が現れ、
しまいには町の町議会議員に推薦されます。
(あくまで娘のためのしていた事であって
政治家になるつもりはなかったため
出馬はお断りしたそう)
そのようにして
元々人見知りだったはずのヒロコさんは
人並み以上に活動的な
女性に変化していったそうです。
屋久島に移住したヒロコさんの元夫はどんな人?
タカシさんは物凄く寡黙な人で、
そもそもヒロコさんが
屋久島に移住したいと相談した時も
無言…
家が壊れたくだりでさえ
「い、いえが…」と
言葉を発したくらいなのだそう。
人付き合いが楽しくなっていった
ヒロコさんにタカシさんが
「お前は変わってしまった」と
本音を漏らしたりして、
夫婦の溝は深まっていったといいます。
ヒロコさんも一度楽しくなった気持ちを
抑えることは当然できないし、
タカシさんの寂しい気持ちも
わかる気がします…。
そうこうしている間に
一度ぺしゃんこになったお家が
とうとう完成したそうなのですが、
その時になってタカシさんが突然
「ニューヨークに行きたい」と
言い出したのだといいます。
実は、
屋久島での自給自足生活をしている間も
ニューヨークで画家活動を
したかったのだというのです。
タカシさんの気持ちを尊重して、
ヒロコさんたちは
家族そろって屋久島を離れることに。
そして手始めに
絵画を売りながら日本を縦断。
次に、ヒロコさん一家はなぜか
ヨーロッパに渡ります。
ヨーロッパではタカシさんの絵が
評価されたこともあったそうですよ。
すごいですよね!
ただ、ヨーロッパ滞在中も
ヒロコさんと娘の苺ちゃんはほったらかし。
「やはり夫の夢には家族は邪魔なのでは」と
考えるようになり、
ヒロコさんから離婚を切り出し、
ふたりは別れます。
なんと、
当時ヨーロッパから帰国して
屋久島に戻ったらしい
タカシさんが今、生きているか死んでいるか
ヒロコさんも知らないということで
番組スタッフがタカシさんを探し出していました。
かつて夫婦で買った土地に車を停めて、
(建てた家は火事で全焼してしまったそう)
基本的に車上生活。
晴れた日にはこの草むらで絵をかいたりする
暮らしを続けているそうです。
結婚生活でずっと寡黙だったのは
自分をオブラートに包まないと
結婚生活は成り立たないと思っていたため
というようなことを語っていましたね。
結婚には
そういう面も確かにあるかも…。
タカシさんが
「生きている間に土地を売って、
お金を子供に分けてやった方がいいのでは」と
語った姿にちょっとジーンとしました。
なぜか自分の父を思い出しましたね。
(離婚してないしすぐ会えますが)
そんなタカシさんを見てヒロコさんは
「仙人みたいですね」と一言。
あっさりしてます。
屋久島に移住したヒロコさんがヌードモデルになった理由は?
ヒロコさんがヌードモデルになった理由も
語られていました。
離婚後大阪に戻ったヒロコさんが、
娘を育てるため、割が良いからという理由で
選んだ仕事が
ヌードモデルだったのです。
こちらが当時の画像だそう。
媒体としては週刊誌なんでしょうか…。
熟女的な枠組みで
需要があるんでしょうねぇ。
ちなみにヒロコさんは
タカシさんの絵画のモデルとして
ヌードになることも多かったそうで
慣れていたのだとか。
そして今は占い師をしているということで
「前世の記憶でタロットカードの
使い方を知っていた」と
これまた嘘みたいな話の片りんを見せていましたが、
占い師としての活動までは
深くは語られていませんでしたね。
もう視聴者としてもお腹いっぱいというか、
キリが無いというか…。
若林正恭さん、
無粋なことなんですが…と前置きして
「こうなること(波乱万丈な人生になること)は
タロットには出なかったんですか?」と
ヒロコさんに聞いていました。
確かに!笑
ヒロコさんは、
「もしやっていたら出ていたでしょうね」
と語り、スタジオを笑わせていました。
ちゃんと落ちをつけていましたね。
以上、
屋久島に移住したヒロコさんの
いろいろ情報でした!
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