こんにちは!
蝶野正洋さんと言えば、
「ガッデム!」という決め台詞でお馴染みの、プロレスラーですよね!
今日は、
6/9土曜日 10時から放送の
NHK 『SWITCHインタビュー達人達』に出演される
蝶野正洋さんについて調べてみました!
蝶野正洋さんのプロフィール
蝶野正洋さんは、1963年9月17日生まれ。アメリカ合衆国ワシントン州シアトルの出身です。
お父さんの仕事の赴任先であるアメリカで生まれ、
2歳半で帰国したそうです。
ここで、蝶野正洋さんは実は良い家柄のお坊ちゃんだったと
わたしは初めて知ったのですが、
「グレていた」「不良だった」というイメージもありますよね?
なぜそのようなねじれ構造ができてしまったのかというと、
小学生の時に学力重視の渋谷の学校から、当時ド田舎だった三鷹の学校に転校し、
腕っぷしが重視されるその学校の風潮の中でいつのまにか番長になった蝶野少年。
そのまま中学・高校と
一方ではサッカー部で主将としてみんなをまとめたり、
家でいい子にしたりしていたけれど、
一方では着実に不良街道を突き進んでいたということなんです。
高校時代は
週末、「パパ、ママ、おやすみなさい」と挨拶がすむと、
部屋に隠してある特攻服に着替えてバイクで集団暴走をしていた。
という、コントのようなエピソードも。
あくまでもご両親の前ではいい子にしていたというのが
ちょっとかわいいですね(笑)
新日本プロレスには神奈川大学に入学し後、大学に籍を置いたまま1984年4月に入門しました。
後に中退したそうですが、神奈川大学に入学できるなんて、
蝶野正洋さんて頭いいんですね!
実は育ちがいいだけあって、きちんとして教育をうけていたということなんでしょうか。
テレビでアントニオ猪木さんの試合を観て衝撃を受けたことをきっかけに
「プロレスラーになりたい」と思い始める蝶野正洋さん。
当然、大反対するご両親を必死で説き伏せての入門だったそうです。
ところで、
蝶野正洋さんは『ヒール』(プロレスにおける悪役)として有名ですが
プロレスを本格的に始めた当初は『ベビーフェイス』(正義役)として
活動していたそうです!
意外ですよね!
海外での武者修行を経て、
帰国後は数々のタイトルを獲得し、スーパースターへの階段を上り詰めました。
でも、称賛を浴びるほど、ベビーフェイスとしての活動に
窮屈さを感じ、
「もっと自由に活動したい」という思いから
とうとうヒール役へ転向。
黒いサングラスとマントがトレードマークの、
史上最強と言われるヒールの誕生でした。
現在は、レスラーとしては第一線を退いているものの、
アドバイザーや解説者として今もプロレスを支えています。
タレントとしても活躍されてますよね!
2児の父でもあります。
蝶野正洋さんの奥さんはどんな人?
蝶野正洋さんは、
海外での武者修行中にドイツ(当時西ドイツ)ブレーメンで、
現在の夫人であるマルティナ・カールスさんと出会いました。
海外での修行は蝶野正洋さんにとってとても辛いものだったようです。
言葉は通じず、友達も通訳もおらず、寝泊まりしていたのは治安の悪い地域。
日本でキャリアは全く意味をなさず、自分の無力さに落ち込んでいたようです。
ある日、そんな蝶野正洋さんを心配した先輩レスラーが
ホームパーティーに連れて行ってくれました。
そこで温かい雰囲気にホッとしたのか、
酔いつぶれて人の家で泣き出してしまったそうです!
超意外ですね!
でも、ホームシックになったことのある人間なら、共感できますよね。
屈強な男性でも、
「自分は力がある」
と信じていた世界から、誰も頼れず、誰も慕ってもくれない場所に放り込まれたら、
やっぱり脆くなってしまいますよね。
そのパーティーに来ていたのが、マルティナ・カールスさん。
蝶野正洋さんを介抱して宿舎まで送り届けてくれたそうです。
映画のような素敵な出会いだったんですね!
マルティナさんは当時を振り返って
ドイツでは男性は強いというイメージがありますが、
蝶野さんは弱くてかわいそうでした。
と語っています。
いわゆる「母性本能をくすぐられた」という感じでしょうか。
蝶野正洋さんは、マルティナさんについて
とにかく親切だった。困っている人がいたら助ける。
当時、まだ黄色人種の差別もあったのに、
一緒にいても平気な顔をしていた。
と語っています。
マルティナ・カールスさんは、
とても芯の強く、優しい女性なんですね!
そして、蝶野正洋さんからの猛アプローチで結婚に至ったようです。
蝶野正洋さんの現在の活動は?
バラエティーでも活躍する蝶野正洋さん。
毎年大晦日に放送される『ガキの使い』では、月亭方正さんとのビンタの件が名物ですよね!
その他、
なんと救急救命の知識を一般の人に広めるための活動に
力を入れているそうなんです。
活動を始めることになったきっかけには、かつて共に戦い、
若くして突然死した橋本真也さんの存在も大きく影響していたようです。
「タレントである自分がPRすることで、助かる人が増えれば」ということで
『ニューワールドアワーズ スポーツ救命協会』を立ち上げ、
非営利で啓発活動をしているそうです。
小さな地方のイベントにも積極的に参加して、
AEDという一般人も使える救命機器使い方を広めたりしているということなんです。
パフォーマンスとして等でなく、
純粋に「一人一人に直に救急救命の知識を伝えて、もしもの時に役立ててほしい」
という真摯さや、優しさを感じますよね。
実際に、
社団法人を立ち上げるときに蝶野正洋さんが相談したという
そ消防庁OBの男性は蝶野正洋さんのことを、
「周りのことをよく見ている、繊細な男」と表現しています。
まとめ
蝶野正洋さんは、
現役プロレスラー時代はヒールとして活躍しましたが、
調べてみると不遇の下積み時代や、
奥様とのロマンチックな恋、
人の命を救うための活動など、
人間味のあるエピソードを沢山見つけることができました。
年末にはまたあのビンタが見られるのかも含め(笑)
今後の活躍が楽しみです!
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