こんにちは!
mamakaです。
3月17日の「消えた天才」に
元女子陸上選手の
鯉川(こいかわ)なつえさんという方が
登場するのだそうです。
鯉川なつえさんは、
あの女子マラソンの金メダリスト
高橋尚子さんをして
「神様」とまで言わしめた
天才ランナーだったのだそう。
ある事件をきっかけに
陸上界から姿を消していたとの
ことですが、
いったい何があったのでしょうか?
気になります!
今日は
鯉川(こいかわ)なつえさんの
「天才」「神様」とまで言われるすごさ!
福岡ユニバーシアード女子マラソンでの事件とは?
夫や子供はいるの?
などを調べてみました!
ぜひ、読んでみてください!
Contents
鯉川なつえさんはこんな人!
福岡県出身の 1972年8月2日生まれ。 今年(2019年)47歳になる方ですね。 元女子陸上競技選手で、 専門は長距離走。 現在は順天堂大学の准教授で、 同大学で陸上の指導者を 務めておられます。 鯉川なつえさんが 陸上競技を始められたのは、 筑紫女学園高等学校に進学したのと 同じ時期だったのだそう。 それ以前は別のスポーツを されていたのかな? と調べてみたところ、 福岡市立長丘中学校時代は バレーボール部に所属しており、 全日本中学校バレーボール選手権大会に 出場した経験もお持ちなのだそう! 何か思うところがあって 高校からは個人競技に 転身したのかもしれませんね。 高校卒業後は スポーツ健康学科などを有する 順天堂大学に進学。 大学卒業後は三田工業 (情報機器メーカー)に就職します。 三田工業の女子陸上競技部で 実業団の一員として陸上を続け、 1995年のユニバーシアード福岡大会に出場。 しかし、3年後の 1998年には三田工業を退職されます。 その後は 順天堂大学陸上競技部の女子中長距離コーチに就任。 立教大学非常勤講師などを経て、 現在は順天堂大学陸上競技部 女子監督兼スポーツ健康科学部准教授に 就任されています。
鯉川なつえさんの夫はオリンピック選手!子供は?
鯉川なつえさんは
陸上競技とボブスレーの選手だった
井上将憲(いのうえ まさのり)さんという方と
結婚されています。
出典元:JOC
イケメンですね!
選手としては以下のような経歴をお持ちです。
- 1997年、日本選手権での110mハードルにおいて初優勝
- 1998年、長野オリンピックボブスレー2人乗り代表選出
- 2002年、ソルトレークシティオリンピックボブスレー2人乗り代表選出
現在は
NPO法人クレンサスポーツアカデミーの
CSAテクニカルスタッフを
務めておられるそう。
そして、お二人の間には
2009年7月に第1子が誕生しています。
鯉川なつえさん36~37歳くらいの時に
出産されたんですね。
子供さんは今年10歳かぁ。
と想像しちゃいますね。
現在は、
順天堂大学の陸上部の指導者として、
また准教授として
大変忙しく働きながら子育て
されているのだそうですよ。
鯉川なつえさんが「天才」「神様」とまで言われるすごさとは?
あの高橋尚子さんが
「神様」とまで崇めたのには、
当然、鯉川なつえさんの陸上競技における
才能がありました。
高校時代の鯉川なつえさんは
以下のような輝かしい成績を
残しておられます。
- 1989年第1回全国高校駅伝5区で区間賞
- 1990年1区で区間賞
- 同年のインターハイでは3千米(3000m)で高校日本新記録を樹立
すごいですね!
高橋尚子さんと鯉川なつえさんは
同じ1972年生まれ。同学年なわけです。
高橋尚子さんは
高校時代に同い年の鯉川なつえさんの
走りを見たり、
「高校日本新記録」の樹立などを
知ったりして
「神様!」と憧れを抱くように
なったのかな~と想像できますね。
ちなみに、
鯉川なつえさんは順天堂大学時代にも
- 日本学生陸上競技対校選手権大会で優勝
- 1992年、日本インカレで3000m、10000mの二冠を達成
- 同年、全日本大学女子駅伝で3区区間賞を獲得
- ハーフマラソンでは学生日本新記録を樹立
- 1993年、ユニバーシアードバッファロー大会に代表選出
- 1995年ユニバーシアード福岡大会に代表選出
などの成績をお持ちです。
自分の脚で風のように速く走れるって
どんな気持ちなんでしょうか…。
才能のある人にしかわからない
感覚でしょうね。
福岡ユニバーシアード女子マラソンでの事件の真相は「熱中症」?
鯉川なつえさんが日本陸上界から
姿を消すきっかけとなった大事件というのが、
2015年の福岡ユニバーシアード女子マラソン
で起きたものでした。
前述のように、
当時鯉川なつえさんはこの大会に
三田工業の実業団の一員として出場していました。
競技が始まり30kmを過ぎた頃、
トップで走っていた鯉川なつえさんは
朦朧とした様子を見せはじめ、
なんと
同じ場所を回り出したというのです。
何度も立ち上がろうとしながらも
顔から倒れ込んだり、
明らかに普通でない状況だったようですね。
テレビ中継もされていたとしたら
観ていた人は相当衝撃的な映像を
目にしたことでしょう。
その後、何とか立ち上がったものの
歩道に突っ込むかたちで
意識を失ってしまった鯉川なつえさん。
もちろん走り続けることは
不可能なので棄権となります。
当時を振り返って
鯉川なつえさんは
高かったがとっても調子がよかったので 良いタイムで優勝したら、 オリンピックの代表にも なれるといわれていたが、 当日のウォーミングアップが駄目でした。 引用元:https://ameblo.jp/aoiwasi-k135/entry-12283274336.html
と語っておられたそう。
オリンピックに繋がるかも
しれないと意気込んだ大会での
この結果、悔しかったでしょうね。
ただ、この大会では
他の参加者も途中でリタイアしたり、
ゴール後失神してしまったりしたのだそう。
なんと参加選手が
ほぼ全員熱中症だったそうですよ。
当時は「死のレース」などとして
世間に衝撃を与えたのだとか。
まさに九死に一生だった
意識を失った鯉川なつえさんが
救急で搬送されたところには
アメリカのドクターがいて、
日本の医師が指示した酸素吸入ではなくて、
全てウエアーを脱がせて氷漬けするよう
指示したのだそう。
アイスマッサージもしてもらい、
意識が戻ったのは20分後、
病院に搬送されて点滴を受けて、
完全に回復したのは翌日だったそうですから、
症状の重さが伺えますね。
今は熱中症の恐ろしさはよく
知られるようになって(それでも事故は起きていますが)
身体を冷やすことの重要性は
一般人でもそれなりに理解していますが、
当時はまだ「熱中症」という
言葉すら知られていなかったらしいです。
そのため、
氷風呂を指示してくれた
アメリカのドクターがいなかったら、
他の誰も正しい対処ができず
最悪の事態にもなり得たとの事。
まさに九死に一生を得るという
状況ですね!
鯉川なつえさんはなぜ陸上を辞めてしまったの?
熱中症の事件のが起きた
福岡ユニバーシアード女子マラソンの
3年後、26歳の時に
鯉川なつえさんは競技を辞めています。
理由の一つには
三田工業の倒産があったのだそう。
それを受けて陸上部も廃部に
なってしまったのですね。
そして、
熱中症の事件もまた引退の
理由になっているようです。
三田工業退職後には
順天堂大学に戻ってスポーツ健康学部で
自ら勉強し、
助手、講師を経て准教授に就任されました。
そんな
鯉川なつえさんの経歴や、
過去のインタビュー記事などを
読んでいると、
女性の心身を理解できる指導者を増やし、
女性アスリートの活躍を
後押ししたいと考えておられるのが
わかりました。
自分が競技中に命を落としかけ、
二度と同じことが起こってほしくないというのも
その動機の一つになっているのでしょう。
そのために大学で勉強したり研究したり
したのでしょうね。
女性の選手の心身に関する知識がない人が
指導者になると、
ご飯を食べるな。
などと言われたり、
それによって選手は
月経が止まるほどストイックになってしまったり
するのだそう。
きちんと栄養を取って競技に臨むことの
重要性をわかっている人が
指導者にならないと、
身体を壊してしまいかねないわけですね。
更に、日本の女子選手の特徴として
自己評価が低いということもあり、
自信をつけさせてあげるような指導の必要性も
あるのだとか。
指導の質を向上させるべく、
自らも指導者になって
鯉川なつえさんはがんばって
おられるんですね!
以上、わたしが調べた
鯉川なつえさんの情報いろいろでした!
コメントを残す