辻野隆三(りゅうそう・テニス)の妻は荻野目洋子!松岡修造が勝てなかった?経歴や現在!職業や年収は?【消えた天才】

こんにちは!

mamakaです。

 

1月3日の「消えた天才」に

松岡修造が唯一勝てなかった

イケメン日本人!

として辻野隆三さんという方が

出演するそうですね!

「錦織級の才能」だったとされる

辻野隆三さんとは

どんな人物なのでしょうか?

 

今日は辻野隆三さんの

「松岡修造さんが勝てなかった」という経歴や

現在の職業や

妻は荻野目洋子さん?

などの情報を調べてみました!

ぜひ、読んでみてください!

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辻野隆三さんの経歴!

出典元:タウンニュース

辻野隆三(つじの りゅうそう)さん

生年月日:1969年2月24日

年齢:48歳

出身地:東京都小平市

血液型:B型

身長:176㎝

 

辻野隆三さんは小学校3年(8歳)まで

野球に打ち込んでいたそうです。

 

テニスを始めたのは

1977年、ウィンブルドン選手権

男子シングルス決勝

(ビョルン・ボルグ VS ジミー・コナーズ戦)で、

ボルグが勝って優勝した試合を

たまたまテレビで見たことが

きっかけだそう。

よほど鮮烈な印象を残したのでしょうね。

 

そんな辻野隆三さんは

あの芸能人が多く通う事でも

有名な

堀越高等学校卒業を卒業されています。

辻野隆三さんはどんなテニス選手だった?松岡修造さんが勝てなかったって本当?

堀越高等学校時代には

全日本ジュニア選手権でなんと

3年連続優勝された辻野隆三さん。

 

最初の優勝では決勝戦で

1学年上だった松岡修造さんに

勝利したのだそう。

このときの経験もあり、

松岡修造さんは辻野隆三さんに

「絶対に勝てなかった」

という思いがあるのかもしれませんね。

 

また、全国高等学校総合体育大会では

1986年度に堀越高等学校のメンバーとして、

団体・個人の二冠に輝いたほどの

実力の持ち主だったようです。

 

高等学校卒業後にアメリカへ渡り、

ビタス・ゲルレイティスや

ロバート・ランスドープらの

指導を受けるなど2年半の

武者修行をし、

プロテニスプレーヤーになったそうです。

 

松岡修造さんによると

「錦織圭さんと同じ種類の才能を持っていた」

「なぜ同じことが自分にはできないのかと思った」

「人間がやるような感覚のテニスではなかった」

「テニスなのに手品を観ているようだった」

というのです。

松岡修造さんが悔しく感じるほどの

才能の持ち主だったということですね!

 

辻野隆三さんが観る人を驚かせた試合が

対ボリス・ベッカー戦。

当時は、日本人はテニスでは世界に

通用しないと言われていた時代だそうです。

辻野隆三さんは小柄で

ベッカー選手と20cm以上の身長差があったのも

大変不利な状況だったそう。

 

それにもかかわらず

ベッカーを振り回すような球を繰り出し、

最終的に敗れたものの

サービスエースポイントを多く奪うなど

大健闘したのだそう。

松岡修造さんもその試合をみていたそうで、

「苦しいほどうまかった」

感嘆したことを語っておられました。

 

2003年に現役を引退した

とのことです。

「消えた天才」とはいっても

プロとしてかなりの年数

活躍していたようですね。

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辻野隆三さんが世界に通用しなかった訳とは?

プロデビュー後、

アメリカのテニスアカデミーで、

辻野隆三さんは世界の洗礼を受けることに。

その名門アカデミー「IMG」に、

辻野隆三さんは日本人男性として初めて

所属し、それだけでも大変な

快挙だったそうですよ。

 

ただ、

想像以上にハードなトレーニングで

毎日へとへとになる辻野隆三さんでしたが、

他の外国人選手は平然としている現状。

渾身のサーブを放っても

通用しないことに、

辻野隆三さんの心は折れてしまったのだそう。

 

「夢から現実になった瞬間」

「辛かった」

「(アメリカのテニス界は)異次元だった」

という辻野隆三さん。

 

コーチに「もっとやるんだ」と言われても

「無理ですよ。所詮日本人は

世界で通用しないんですよ。」

等と思ってしまったそう。

 

当時、

日本人の男子テニス選手は

世界ランク100位以内はいなかった時代

だったそう。

先にも書きましたが

「日本人男子のテニス選手は

世界に通用しない」と言われていた時代

だったそうですね。

 

前例のない事、誰もが「無理だ」と

言っていることをやっていて、

それがうまく行かなかったとしたら、

信じてやり続けるのは大変なことですよね。

 

「心がついていかなかった。」

「自分を信じ切れなかった。」

という辻野隆三さん。

アメリカから帰国して日本に拠点を

戻すことにしたのだそう。

その後はケガの影響もあり、

目立った活躍はできなかったといいます。

 

その後、世界で活躍した松岡修造さんに

対し、

辻野隆三さんは

「自分を信じられた人」

「自分を信じようと努力した人」

評していました。

 

自分を信じられるかどうかって

こんなにも大きな差を生むんですね。

これはスポーツに限らないことかも

しれませんね。

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辻野隆三さんの現在の職業や年収!

辻野隆三さんは現在

テニススクールを経営しているそう。

テニス指導者、解説者としても

活躍しているそうですよ。

 

また日本テニス協会では現在、

ツアー機構事業推進本部プロツアー委員長、

事業推進委員、専務理事直轄ジャパンオープン委員、

常務理事会直轄国際委員を務め、

日本プロテニス協会では

平成25年度・26年度の2年間、

常務理事を務めているとの事。

 

テニス界への貢献は

大変高い方のようですね!

 

年収は詳しいことはわかりませんでしたが、

スポーツ解説の仕事は

一試合5~10万円とも

言われているようです。

テニススクールの経営が順調ならば

かなりの年収を得ていそうですよね。

妻は荻野目洋子さん?

番組予告では

「妻は大物歌手」と

されていましたよね!

出典元:Twitter

辻野隆三さんの妻は

荻野目洋子さんなのだそうですよ。

 

2001年に高校の同級生であった

荻野目洋子さん(歌手)と結婚し3女がいる

とのことです。

高校卒業後に再開して交際し

結婚された経緯があったようですよ。

ロマンチックですね…。

 

松岡修造さんによると

辻野隆三さんはテニスの才能があった

だけでなく、

ウエアなども流行のものを身に着けて

今で言う「イケメン」だったそうなのです。

 

松岡修造さんは

「吉川晃司」と呼んでいたのだとか(笑)。

松岡修造さんの中で

当時のイケメンの代名詞が

吉川晃司さんだったのでしょうか…。

 

辻野隆三さん、

番組で観た限りでも大人の余裕を感じる

素敵な人でしたが、

当時は荻野目洋子さんを射止めるくらいの

イケメンだったのでしょうね!

 

ちなみに

辻野隆三さんのテニススクールのサイトには

荻野目洋子さんの写真が使われていて

素敵でしたよ。

MIRAI TENNIS ACADEMY

 

以上、わたしが調べた

辻野隆三さんの情報いろいろでした!

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