野々村直通(野球・元監督)が甲子園でバッシングの理由とは?現在の職業は画家で似顔絵も!【爆報フライデー】

こんにちは!

mamakaです。

 

1月18日の

爆報!THEフライデーに

甲子園での発言で大バッシングを受けた監督の

として野々村直通(ののむら なおみち)さん

登場するそうですね!

 

今日は野々村直通さんの

経歴や、

大バッシングを受けた騒動について、

現在の職業は画家だという野々村直通さんの

似顔絵ギャラリーについて

などを調べてみました!

ぜひ、読んでみてください!

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野々村直通さんの経歴!

出典元:ザテレビジョン

野々村直通さんは1951年12月14日生まれ。

今年68歳になる方ですね。

島根県出身です。

 

高校の美術の教師で、野球の指導者としても

活躍された方ですが、

正直、どちらにも見えないですね!

昔のマンガに出てくるやくざって感じです。

 

野々村直通さんの

学歴もわかりました。

島根県立大東高等学校から

広島大学(学校教育学部美術科)に進学。

このころから将来美術の教師になることを

視野に入れていたのかなと

想像させますね。

 

後に野球の指導者になるだけあって、

ご自身ももちろん子供の頃から野球を

やっておられました。

 

広島大学時代には硬式野球部で2年時に

首位打者を獲得されたそう。

4年時は主将として

全日本大学野球選手権大会に初出場。

かなりの実力を

お持ちだったんでしょうね。

主将になるということは

リーダーシップも持っていたんだろうなと感じます。

 

そして、野々村直通さんの

指導者人生は大学卒業後、

広島県立府中東高校に赴任してから

始まります。

広島県立府中東高校は

1978年秋の中国大会で準優勝し、

翌年には監督として甲子園初出場

果たしたそう。

 

その後、

野々村直通さんは地元島根県に戻ります。

松江日大高校の監督を経て

松江第一高校(現:開星高校)の教員となります。

 

松江第一高校(現:開星高校)での

経歴としては、

1988年4月に野球部を創部し初代監督に就任

とあります。

 

開星高校と言えば

今は誰もが知る「野球強豪校」で

プロ野球選手も輩出していますが、

野々村直通さんが立ち上げるまでは

野球部が無かったという事なのでしょうね!

 

創部6年目の1993年には、

松江第一高校(現:開星高校)野球部は

全国高等学校野球選手権大会への

初出場を果たします。

 

その後も中国地区高等学校野球大会で

二度の優勝。

 

野々村直通さんは指導者として

有能な人物だったんでしょうね!

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野々村直通さんはなぜ甲子園で大バッシングを受けたの?当時の心境は?

そんな野々村直通さんは

なぜ「甲子園で大バッシング」

受けることになってしまったのでしょうか。

 

それの騒動は2010年の

第82回選抜高等学校野球大会に出場した際に

起りました。

その年、開星高校(旧松江第一高校)野球部は

初戦で21世紀枠選出の向陽高校に1-2で敗れて

しまいます。

(「21世紀枠」とは、

選抜高等学校野球大会の出場枠の一つ。

ある程度以上の成績を収めた高校の中から、

恵まれない環境に置かれている、

他校や地域に良い影響を与えているなどの

理由で選抜される)

 

その時、野々村直通さんは

試合後のインタビューで

「21世紀枠に負けたのは末代までの恥」

「腹を切りたい」などと過激な発言をしたのです。

それによって世間から大バッシングを受け、

ニュースでも大きく取り上げられてしまいます

 

これは確かに、

勝った向陽高校にとっては

あんまりな言われようでは…という感じがします。

21世紀枠でがんばった生徒たちへの同情と

野々村直通さんへの批判が

集まるのは無理もないですよねぇ。

 

野々村直通さんはこの発言について

昨年のインタビューで

あの場で言っちゃいかんとは思っています。

でも負けると何もかも嫌になるんです。

それくらい、勝利に執着していた。

中国大会優勝校として、

負けてはいけないというのがあった。

相手を侮辱したつもりはなかったですし

引用元:https://www.daily.co.jp/opinion-d/nextstage/2018/07/31/0011496197.shtml

と語っておられます。

めちゃくちゃ悔しくて

普通の精神状態ではなかった

ということかもしれませんね。

 

「命がけでやっていたため、

負けると毎回、人生が終わったような

気持ちになる」とも

おっしゃっていて、

野々村直通さんにとって

監督業はやりがいのある反面、

苦しいものであったことが伺えます。

それだけ情熱をかけていた

ということなんですね。

 

その騒動をきっかけに野々村直通さんは

監督業から一年ほど離れることに。

ただ、

その後復帰を願う署名が

約8000名集まり、

2011年4月に監督に再就任。

監督人生の最後には、

夏の第93回全国高等学校野球選手権大会出場。

そして、

2012年3月、開星高校を定年退職されました。

 

復帰を願う署名が集まるほど、

身近な人たちからは人望があったの

でしょうね。

本当は、テレビで報道された姿や

問題のあった発言だけではわからない

魅力が沢山あるのだろうなと感じます。

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野々村直通さんの現在の職業は画家!似顔絵でギャラリーも!

野々村直通さんの現在の職業は

画家なのだそう!

(評論家という肩書もお持ちです)

「未練なく監督業から引退し、

現在は野球とは全くかかわっていない」

いいます。

 

「画家」とは超意外でしたが、そもそも

野々村直通さんは美術教師

だったんですもんね。

監督業にばかり気を取られてましたが

大学も広島大学の学校教育学部美術科

でした。

 

なんでも、野々村直通さんの

伯父さんが京都の西陣織の

下絵書きをする職人さんだそうで、

芸術的なセンスは血筋といえるのかも

しれません。

 

野々村直通さんは特に

似顔絵を得意とされているようで、

出典元:http://www.nonomura-naomichi.com/gallery/index.html

やわらかな色合いで素敵な似顔絵ですね!

すごい自分の顔の特徴を

誇張して描かれたりして、

「わたしの顔ってこう見えてるの…?」と

ショックを受けそうなタイプの

似顔絵もありますが、

こういうタッチなら安心して

任せられますね。

 

2012年に定年退職された後、

2015年に似顔絵ギャラリーをオープン。

誕生日などに贈る似顔絵や

結婚パーティーのウエルカムボードなどを手がけ、

展覧会にも出展されて

いるのだそうですよ。

第二の人生を楽しんでおられるんですね!

 

野々村直通さんの

似顔絵&ギャラリー

〒690-0887

島根県松江市殿町383 山陰中央ビル1階

 

野々村直通さんの公式ウェブサイト

こちらからイラストや

似顔絵の依頼もできるようです!

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